ブルサ Bursa

緑豊かな古都
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ブルサ中心部バザールを城塞からみおろす

都市部の人口1,979,999人(2007年)

雄大な山を意味するUludağウル・ダー(ダーが山の意味)の北側斜面に位置する緑豊かな町として知られ、緑のブルサYeşil Bursaとも呼ばれている。

1326年にオスマン帝国最初の首都となり、初代スルタンのオスマン1世や2代目オルハンの墓、モスクやハマム、神学校など数多くの歴史建造物が修復・保存されながら、維持、活用されている。古くから商業面でも栄えていたブルサは、オスマン帝国時代に絹織物産業が盛んになり、現在でもその産地として有名である。また、ローマ時代からの温泉地としても知られており、中でもチェキルゲ地区Çekirgeにハマムや邸宅が多く建設され、発展してきたようである。

バザールはオスマン帝国の首都となった後、高台にある城塞Hisarの外、東側の低い位置に建設されている。モスク、ハン、ハマムが複数立ち並び、これらの施設を繋ぐように網目状に商店街や職人街の街路が張り巡らされ、一大商業エリアを形成している。

現在はベデステンYıldırım Bayezid Bedesteniを中心に広がりをみせるバザールであるが、14世紀、バザール建設当初はエミール・ハンEmir Hanıが中心的役割を果たしていた。エミール・ハンはウル・ジャミィUlu Camiのすぐ北側に位置する。ウル・ジャミィは1396年に建て始められ、1400年に完成。20の小ドームによって大空間がつくられ、その中央に泉が設けられている。それよりも古いモスクが、ウル・ジャミィ横の広場を挟んで東側に建つ。1339年、2代目スルタンのオルハン・ガジによって建造されたオルハン・モスクOrhan Camiiである。ベデステンはエミール・ハンの北側に位置し、14世紀末に建設され、14の小ドームからなる内部空間は金製品の市場として機能している。内部だけでなく外壁の外側にも店舗が並び、南側の一辺は靴屋街になっている。

バザールはこのほか、ゲイベ・ハンGeyve Hanı(別名Lonca Hanı協同組合のハン)、フィダン・ハンFidan Hanı(苗木のハン)、トゥズ・ハンTuz Hanı(塩のハン)、コザ・ハンKoza Hanı(繭のハン)、イペッキ・ハンİpek Hanı(絹のハン)など多くのハンが並ぶ。いずれのハンも中庭を囲み1階と2階に部屋が並ぶ形式であり、近年多くの施設が修復され、店舗やカフェなど賑やかな場として利活用されている。

これらのハンを繋ぐメインストリートとして、ウズン・チャルシュUzun Çarşıとオクチュラル・チャルシュOkçular Çarşısıがある。この2つの通りは東西にまっすぐのびる通りで、ハンのほか、通りの両側に小さな店舗が連なっている。オスマンガジ区役所Osmangazi Belediyesiによって通りの上部に透明な屋根が設けられ、通りに面する歴史建造物のファサードを見せながら、天候に左右されることなくショッピングが楽しめるようデザインされている。バザール内に点在するハマムや旧神学校も修復され、商業施設や文化施設として活用されている。

バザールからさらに東側に流れる川にウルガンドゥ橋Irgandı Köprüsüがかかっている。1442年に建造され、橋上に31軒の店舗と礼拝所が1つ並ぶものであったが、1855年の地震やその後の戦争によって大きなダメージを受け、機能しなくなってしまった。2005年に芸術家たちの橋としてオスマンガジ区役所によって再生され、橋の上に手工芸品の店舗やカフェがオープンしている。

バザールでは貴金属、布製品、工芸品、衣類や靴など幅広く商品が取り扱われているが、ブルサの場合、野菜をはじめとする食品を売るエリアもある。このほか、市内では数多くの露天市も立っている。

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バザールエリア図 Çarşı

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コザハンKoza Hanı(繭のハン)の中庭

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コザハンKoza Hanıの2階の回廊

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ブルサのバザールの核となっているベデステンBedesten内観


▶ブルサ 修復・保存・活用 BURSA, Çarşı